最初の入植は4世紀ごろ。ホリネシアの人口増加による移住か、権力争いに敗れた者の新天地への入植によるものか推測の域を出ていない。
4世紀から1300年もの間ほとんど外部との接触が無く、孤立状態で高等な独特のラパ・ヌイ文化を育んだ。
イギリス・フランス・ロシア・ペルーなど様々な国の船が出入りし、そのたびに文化の崩壊や外部との接触による悲劇・被害を被り、人口が111人という時代もあった。
1870年に始めてチリの軍艦が訪れ、1888年交渉の末チリの統治下となった。
アフ(祭壇)一つをとっても、トンガ・クック諸島・タヒチなどポリネシアの島々に同じような「マラエ」と呼ばれる祭壇がありどのように影響を受けたのか、果たしてインカの
影響は? モアイは何のために作られたのか? 未だにさまざまな謎を秘めたままじっと佇むモアイの島、「世界のヘソ」とも言われているイースター島。
もちろん世界遺産。 なかなか行けないデスティネーションですが、であればこそ、ぜひチャレンジしていただきたい。
モアイって何?
島内に移り住んだいくつもの血族グループの神格化された先祖が石像として作られた と言われている、その石像をモアイという。
ハンガ・ロア村
人口約4,000人。島内唯一の村。国立銀行、裁判所、郵便局などがある。
1985年NASA宇宙局がチャレンジャーの緊急着陸用として、空港の滑走路を拡張した。長さ3300m。
イースター島博物館
日本の凸版印刷が技術援助し、1986年新設された。目玉商品は、文字通りモアイの目が見られる。大阪万博の際に展示もされた。
タハイ遺跡
島内に15ヶ所あったといわれるかつての中心地の一つ、儀式村。1960年復元された。アフといわれる祭壇にのせられ、プカオと呼ばれる赤銅色のマゲを頭上に
載せたモライが見られる。
アナケナ
伝説の王「ホツマツア」上陸のビーチ。7体のモアイが乗るアフ・ナウナウとその後にポツンと一つ控えている「ホツマツア」王のモアイが高台に立つ。
ビナプの石組み
インカ遺跡に残る石組みとそっくり。果たしてインカの影響のものか?ポリネシアの独自のものか? 実は西ポリネシアのトンガにも同じ様な巨大な石を組み合わせた
ものが残っていると言われる。
ラノララク
モアイ製造基地と言われる。至るところに切り出しの跡、痕跡が残っている。
オロンゴ
鳥人儀式の舞台となった所。162もの鳥人レリーフやあたりの岩には大小1184ものレリーフが残っており、もう一つの見所になっている。
トンガリキ
15体のモアイが立ち並ぶ。かつて島内最大規模の集落があったと推測されている。
タダノ(日本のクレーンメーカー)の協力で修復・復元された。
日の出、日の入りの時間帯に見るトンガリキのモアイ像には言葉を失うほど見とれる。
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