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クリチバ (Curitiba)

クリチバはパラナ州東部高原の標高900mのところに位置し、近年急速な産業発展を見せ、活気に充ちた近代都市である。中心街の公園にはユーカリやパラナ松(州のシンボルマークとなっている)が植えられており、植民地時代の優雅な建物と近代的な高層ビルが立ち並び、行政地区には州政府、州議会、高等裁判所などのモダンな官庁街がある。クリチバは古くからコインブラ・ブラジレイラと呼ばれたほど教育文化の盛んな都市で現在国立パラナ総合大学をはじめカトリック総合大学、市立大学、州立専門学校など多くの学校がある。クリチバは市をあげて計画的な町づくりを進めてきており、首都ブラジリアに次ぐ計画都市で、交通渋滞とは無縁の道路網や、建物の高さを均一に保ったヨーロッパ調の家並みなど、ブラジルにおける都市計画の模範都市としてもっとも清潔で美しい町と言われるようになった。街の中心のジェネロソ広場にあるパラナ博物館は18世紀初頭にこの地に移住してきた人々の民族的、歴史的な展示物からアンティークの品々、絵画、インディオの手工芸品などを展示している。日曜日にはガリバルディ広場でフリーマーケットが開かれ、絵画や革製品などの手工芸品を得る露天商が並ぶ。また、クリチバ市内には沢山の公園があり、市民公園にはミニ動物園や水族館、遊覧ボートなどがあり、休憩するには格好の場所である。



都市名
クリチバ (Curitiba)
電話エリア番号 041
人口 1,757,904人 (2005年度)
面積 430.9km2
気温 夏の平均気温は摂氏21度 冬は13度
標高 平均934m
座標 25°25′0″S, 49°15′0″W
距離 サンパウロから約400km
主な空港
アフォンソ・ペナ国際空港 (Aeroporto Internacional Afonso Pena) 市内まで25分。空港ー市内路線バスあり。
主な観光スポット 植物園 (jardim botanico)
オエペラ・デ・アラメ (opera de arame)
パラナ連邦大学 (reitoria UFPR)
モレテス市 (morretes)
交通システム。計画都市
歴史と特徴

クリチバ市は、一人あたりの緑地面積が52m2にものぼり、土地利用と整合のとれたバスによる効率的な公共交通システムやユニークなゴミの分別回収システ ムを有することからブラジルの環境首都として知られている。前より、クリチバ市は計画的な都市政策・環境政策を持つ都市として一部の専門家には知られてい たが、992年にリオデジャネイロで開催された地球サミットの1週間前にクリチバ市で国際環境都市会議が開かれ、世界各国の人々がその成果を実際に目にし て以来、一躍世界的に知られるようになった。
また、クリチバ市は、1989年1月1日に環境都市を宣言し、1991年には国連からリチバ市のゴミ対策が優れているということで賞を受け、また1992年の地球サミットでは、環境改善に多大な成果を納めた都市として北九州市とともに表彰されている。

クリチバの歴史は、1630年頃に金鉱を求めて周辺で始められた入植にその起源が求められる。
徐々に村落を形成し、1693年3月29日に村として認められ、パラナマツ(Araucaria angustifolia)の広大な林を有していたことから、ノッサ・セニョーラ・ダ・ルース・ドス・ピニャイス(Nossa Senhora da Luz dos Pinhais、松林を守護したう我らが光の聖母)という名で登録された。おそらくこの名前が言いにくかったこともあり、次第にクリチバという名前で呼ばれるようになり、1721年に町の名称を正式に「クリチバ(Curitiba)」に変更する。
クリチバという名の由来については有力説が2説あり、ひとつは、先住民が使っていたトゥピ語で「松(coré)が多い(etuba)」という意味のCoré Etubaから転じたというもの、もうひとつは、やはりトゥピ語で、「大きな(yba)松(kurit)」という意味のKurit Ybaから転じたというものである。
1842年に町に格上げとなり、1853年、サンパウロ地方が分割されたことに伴い新設されたパラナ地方の首府となった。
周辺にそれほど金鉱を有していないことが明らかとなるにつれ、黄金を求めてきた入植者たちはミナス・ジェライス地方へと移っていった。
クリチバは長い間、特にこれといった産業を持たず、牧畜が盛んな南部のリオ・グランデ・ド・スルと消費地帯であるサンパウロをはじめとする以北の地域との結節点という地理的優位性から、家畜売買とその中継地として収入を得た。
1867年から移民団の受け入れが始まり、イタリア人、ポーランド人、ドイツ人、ウクライナ人を中心に、ヨーロッパから多数の移民が流入することとなる。
1913年には、ブラジル初の大学となるパラナ大学(現在のパラナ連邦大学)が設置されるとともに、これもブラジル初となる電動式の路面電車が敷設された。
1960年代頃までは、あくまで地方都市の枠を出ない存在であったが、以後、政策的な成功も寄与して、商工業が発展し、ブラジルでも有数の富裕な都市となる。その躍進をもたらした都市計画について、その先進事例として世界中に広くその名を知られるようになった。