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メンドーサ (Mendoza)




都市名
メンドーサ (Mendoza)                       
人口110,993人
面積 54㎢ 
気温746.5
標高746.5
座標-
距離-
主な空港
メンドサ空港
主な観光スポット アルゼンチンワイン生産の中心地として有名。州内には3千社以上の醸造会社があり、毎年3月には、サン・マルティン公園でワイン祭り(収穫祭)が行われる。
歴史と特徴
首都ブエノスアイレス市から北西方面に約1,080km、チリ国境を間じかにひかえた交通の要所である。空路であれば約1時間50分。地中海性気候で過ごし易く、気候を生かした広大なブドウ畑が一面に開けれている。アルゼンチンはワインの生産国としても有名で世界第4位を誇り、その生産地の中心がメンドーサである。アンデス山脈の雪解け水を利用した大規模な灌漑がグリーンベルトと呼ばれる豊饒な土地を作り、上質のワインの基となるブドウを育んでいる。メンドーサは植民地時代の初期(1561年)に歴史が始まり、南米独立戦争の際、英雄サン・マルティン将軍がチリ独立の支援に「アンデス軍」5,000人を率いてメンドーサから向かったことは有名。
独立広場を中心にした街並はプラタナス、ポプラの木立に囲まれ、メインストリートであるサン・マルティン大通りにはショッピングモール、銀行、オフィスビルが立ち並んでいる。広場周辺にはレストランやカフェも多く、この近くのホテルを利用すると観光・ショッピングに最適。
メンドーサ州には大小3,000もの醸造会社があり、街の近郊には数多くのボデガ(ワイナリー、貯蔵倉のこと)が点在しており、日本にも輸出している有名なボデガも見学可能である。
市街地の西側にある小高い丘は、サン・マルティン将軍に因んだグローリアの丘(栄光の丘)とサン・マルティン公園がある。毎年3月に行われるワイン祭(収穫祭)はここで行われる。 ここから眺めるアンデスの山々は絶景。
南米の最高峰アコンカグア峰(6,965m)へ行く拠点の街でもある。
クリチバの歴史は、1630年頃に金鉱を求めて周辺で始められた入植にその起源が求められる。
徐々に村落を形成し、1693年3月29日に村として認められ、パラナマツ(Araucaria angustifolia)の広大な林を有していたことから、ノッサ・セニョーラ・ダ・ルース・ドス・ピニャイス(Nossa Senhora da Luz dos Pinhais、松林を守護したう我らが光の聖母)という名で登録された。おそらくこの名前が言いにくかったこともあり、次第にクリチバという名前で呼ばれるようになり、1721年に町の名称を正式に「クリチバ(Curitiba)」に変更する。
クリチバという名の由来については有力説が2説あり、ひとつは、先住民が使っていたトゥピ語で「松(coré)が多い(etuba)」という意味のCoré Etubaから転じたというもの、もうひとつは、やはりトゥピ語で、「大きな(yba)松(kurit)」という意味のKurit Ybaから転じたというものである。
1842年に町に格上げとなり、1853年、サンパウロ地方が分割されたことに伴い新設されたパラナ地方の首府となった。
周辺にそれほど金鉱を有していないことが明らかとなるにつれ、黄金を求めてきた入植者たちはミナス・ジェライス地方へと移っていった。
クリチバは長い間、特にこれといった産業を持たず、牧畜が盛んな南部のリオ・グランデ・ド・スルと消費地帯であるサンパウロをはじめとする以北の地域との結節点という地理的優位性から、家畜売買とその中継地として収入を得た。
1867年から移民団の受け入れが始まり、イタリア人、ポーランド人、ドイツ人、ウクライナ人を中心に、ヨーロッパから多数の移民が流入することとなる。
1913年には、ブラジル初の大学となるパラナ大学(現在のパラナ連邦大学)が設置されるとともに、これもブラジル初となる電動式の路面電車が敷設された。
1960年代頃までは、あくまで地方都市の枠を出ない存在であったが、以後、政策的な成功も寄与して、商工業が発展し、ブラジルでも有数の富裕な都市となる。その躍進をもたらした都市計画について、その先進事例として世界中に広くその名を知られるようになった。